- 宗派:曹洞宗
- 住所:新潟県阿賀野市折居129
- アクセス:JR羽越本線 月岡駅から5.2km
猫檀家ってなに?
猫檀家ってなんだか知っていますか?猫が恩返しをする昔ばなしとして有名なお話の一つです。ここ、岩村寺(がんそんじ)も猫のお陰でお寺が栄えた伝説が残るお寺のひとつ。その伝承をご紹介しましょう。
岩村寺の猫檀家
この寺は岩村寺2代目住職の樹巍柏葉(じゅぎはくよう)が承應年間(西暦1652~5年)の頃に住み着いた「折居院(せっきょいん)」が始まりとされ、現在は三八代目住職が寺を守り継いでいます。
岩村寺に名を改めるきっかけになったのが猫の恩返し、いわゆる猫檀家の伝承に残されていました。
柏葉は行脚僧をしていたが、「暫くこの地で雨露を凌ごう」と、折居に居を構えた。破れ衣と一蓋の網笠以外に身に着けるものはなかった。托鉢(僧の修行の一つ。鉢を持って家々を回り、経を唱えて施しを受けること)の際、岩船郡大須戸村(現在の塩野町村)で一匹の黒猫がついてきて離れようとしなかった。
柏葉はこの黒猫を養うことにし、我が身のようにかわいがった。その様子は村人が猫和尚と呼ぶほどであった。
しかし、秋に猫が病気にかかり、看病の甲斐もむなしく、日に日に痩せ衰えていった。ある晩、柏葉が看病疲れで微睡していると、黒猫が夢枕に立ってこういった。
「30年来、獣の身でもったいないくらいの御恩を受けました。この度の病でも手厚い看護をいただき、骨身に浸みました。本来永劫忘れません。しかし、命の終わりを覚悟し、足腰の動く間にお別れを告げに参りました。私ほどの果報者はこの世にないでしょう。たぐいまれなる高徳の和尚の懐を敷物にし、飢えもせず、寒暑も知らず、長寿を全う致しましたのは冥加の至りでございます。御師匠様は草庵に埋もれていますが、いずれ認められる時が来るでしょう。夢から覚め、卯の刻(朝5~7時)に案を訪ねる人がいれば、必ず招きに応じてください。当山の永遠の礎は築かれましょう。さようなら、さようなら。」
目が覚めると、猫の姿は消えていた。柏葉は猫を弔い、空山の静寂を破り、鐘を打った。
卯の刻を過ぎると、新發田の豪族である岩村長右衛門の使者が戸を叩き、葬儀に召集された。葬送の型はとても整っており、絢爛豪華な袈裟を着た導師、人目を驚かすほどの親族知人の善美の行列となっていた。方や柏葉は破れ衣に寸断された袈裟の扮装。厚かましい乞食僧だとも揶揄された。
読経が始まると、一陣の陰風と共に雷が轟き、棺がするすると天へ引き上げられてしまった。人々は驚愕し、導師も狼狽して降魔の呪を唱えるが、効果なく、ただ呆然とするのみであった。
しかし、柏葉が大声で陀羅尼を唱え、数珠を押し揉むと、不思議にも読経が終わらないにもかかわらず、雷雲がはれ、棺も降りて元の位置に収まった。これを見た一同は驚愕し、長右衛門は大層喜んだ。
来るときは網笠一蓋だったが、帰りは鋲打ちの籠に乗せられて草庵まで送り届けられた。寛文9年11月中旬のことであった。
岩村家は大変感謝し、瞬く間に佛寺建立を成した。そして、岩村家から「岩村寺」の名も与えられた。さらに、永代の供料として神山村大字山倉 (現在の笹神村)の田地数町を寄付した。
後に、枕元に金比羅大権現が現われ、「衆生済度のために猫の姿を借りてこの世に現れた。末世の衆生深く私を信じれば、福徳円満し、安楽を得て、心願成就為されるだろう。」と話され、戍巳の方角へ消えて行った。和尚は斎戒沐浴し一刀で権現の御像を彫り刻み、7月19日を縁日とした。
黒猫の猫塚
この伝承を生んだ黒猫には球形のお墓が建てられ、今でも大切に祀られています。そばには歴代住職の墓石が佇み、この寺の行く末を見守り続けていました。
残念ながら、寛政7年(1795年)、昭和43年(1968年)8月の二度に亘る火災により、伝承の資料はそれほど多く残っていません。一度目の火災の後、寺が1㎞程離れた現在地に移されました。一度目の火災では岩村家の支援を受けることができましたが、二度目は頼らずに建て替えたそうです。
岩村寺の住職は猫嫌い?
残念ながら、現在は猫と暮らしていないようです。先代の住職の影響で、猫はそれほど好んでいないとおっしゃいます。しかし、これはおそらく気持ちの裏返し。檀家さんの中には、猫嫌いもいらっしゃるそうです。檀家さんへのささやかな配慮から、このように答えているのかもしれません。嬉々として昔話を語るご住職は、その立場を楽しんでいらっしゃるようでした。その姿を見守るように、檀家さんから寄贈された猫像が後ろにちょこんと鎮座していました。
コメント
「猫檀家」
阿賀町、西山日光寺にも類似のお話しがあります。
岩村寺の特長は、住職の名、喪主の名がわかっていることです。
なんらかの怪異が有ったのでしょう。